当教室の指導者紹介
指導者の略歴・活動歴
氏 名 | 徳 平義人 |
出 身 | 兵 庫県加西市 |
略 歴 | 2003
年(平成15年)9月より荒木無人斎流を学ぶ。 |
2004
年(平成16年)12月に初段允可される。 |
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2007
年(平成19年)1月、近畿地区居合道連盟個人別競技会で二段2位 |
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2008 年(平成20年)1月、近畿地区居合道連盟個人別競技会で三段1位 | |
2009 年(平成21年)1月、近畿地区居合道連盟個人別競技会で四段入賞 | |
2010 年(平成22年)1月、近畿地区居合道連盟個人別競技会で五段1位 | |
2012 年(平成24年)1月、近畿地区居合道連盟個人別競技会で六段入賞 | |
2013 年(平成25年)1月、「かさい」居合道教室の指導をはじめる。 | |
2016 年(平成28年)5月、全日本居合道連盟より七段允可される。 | |
2017 年(平成29年)9月、荒木無人斎流より七段允可される。 | |
2018 年(平成30年)11月、全ての加盟団体から独立し、「かさい」居合道教室の最高指 導者として活動を開始する。 | |
2019年(平成31年)2月、「四神一刀兵法」を創始する。 | |
2019年6月3日、公益財団法人日本スポーツ協会の「スポーツリーダー」の認定を受ける。 | |
現在に至る。 | |
活動歴 | 「かさい」居合道教室の設立に尽力する。 |
初めて住吉神社(北条節句祭り)において、当教室が※奉納居合を公式に奉仕する。 ※この奉納居合については、住吉神社発行「播州酒見北条 住吉神社 創建千三百年記念誌」の「住吉神社創建千三百年『北条節句祭り』 の記録」145頁(第二日目(平成二十九年四月二日<日>本宮))において、『住吉神社本社では、午後三時より、居合道奉納演武と播州あばれ太鼓演奏があ り、多くの観客がその演武と演奏に魅入りました。』と公式記録される。 この記念誌は、後世に残し伝えるために発行された貴重な文献のひとつです。 |
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震災復興を目的としたハチドリまつりに、当教室が居合演武により貢献する。 | |
初めて日吉神社(秋季例祭)において、当教室が奉納居合を公式に奉仕する。 | |
初めて日吉神社(弓引き神事)において、当教室が※奉納居合を公式に奉仕する。 ※この奉納居合については、2017年(平成29年)に姫路市夢前町の須貝雅行様の多大なる御支援により、姫 路のケーブルTV「wink」(ウインク)にて放映されました。 |
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抱 負 |
教室生と共に地域行事に参画するなど、皆から愛される教 室作りを目指す。 |
(指導者:徳平義人)
(認定証:公益財団法人日本スポーツ協会 スポーツリーダー)
メッセージ
◆第一章(居合道との出会い)
私が「居合道」と出会ったのは、社会人になってからのことでした。
それまでは、ごく普通の社会人であり、日々会社と家を往復する生活を送っていました。
ある日、突然「外国語の勉強を始めよう」と思い、語学教室に通い、その実力を試すため海外と交流を持つようになりました。
それから何度か海外へ行っているうちに、ふと「私はこうして海外へ来ているが、一体どんな日本の文化を海外の人々に伝えることができるのだろうか?」 と、自身が日本人であるにも関わらず、何ひとつ日本人として伝えられるものが無いことに気付きました。
一方、私は子供の頃から忠臣蔵や子連れ狼などの時代物を見ることが好きで、「サムライ」の格好良さに強く憧れを持っていました。
とは言え、憧れても現代社会でサムライになれるはずもないのですが…。
また、当時普段から特に力を入れてやっていた運動なども無く、会社と家を往復するだけの生活に物足りなさも感じていたと記憶しています。
こうした幾つかの条件が重なったことがきっかけで、「自分自身を大きく変えたい!」と考え、早速行動に移すことにしました。
本やインターネットなど色々探していたところ、「居合道」と言う武道があることを、ここで初めて知りました。
当時の私は、ドラマや映画で出てくる「居合抜き」程度の言葉や知識しかなく、「居合道って一体どんなものなんだろう?」と強く興味を惹かれました。
そして、早速家の近くで居合道の稽古をしているところを見つけ、入門することとなりました。
これが初めて私が「居合道」と出会った瞬間です。
当初は、袴も角帯も着けたことがことがなく、覚えることがいっぱいでしたが、「本気でやってみよう!」と気合十分ではじめたので、新しいことを知るこ とはとても新鮮な気持ちでした。
稽古も本当に厳しく、稽古着を介して全身から汗がボトボト落ちてくるほど、真剣に毎週休まずに何時間も稽古を続けました。
最初は、日本刀の扱い方も分からなかったのが、稽古を繰り返すうちに体が覚えてきて、色んな業(わざ)も身に付けることができてきました。
そして昇格考査受審や大会出場など、徐々に高度な挑戦をすることとなり、段位昇格や大会受賞など経て、気が付けば、今は「かさい」居合道教室で指導者 となっていました。
振り返ってみると、日本人として何ひとつ伝えられるものが無かった自分が、こうして日本の伝統古武道の継承者のひとりとして活動していることに、驚き を禁じ得ないものがあります。
そんな中、ただひとつ言えることは「居合道に出会えて本当に良かった(もっと早く居合道に出会いたかった)。」ということです。
居合道を通して、多くの人と出会い、新しいことを知り、何よりも「日本人であること」に 誇りを感じることができました。
◆第二章(居合道継承者としての使命)
さて話は一変しますが、現代ではデジタル化の浸透により、バーチャルの世界でも色んな楽しいコミュニケーションができる時代となりました。
私はこうした社会を否定するつもりはなく、むしろそうしたIT社会を生き抜く能力を備えることの方が、現在では重要でもあると考えています。
だからこそ、私はこの「居合道」や「日本のあらゆる伝統文化」について、とてつもなく大きな存在意義を感じます。
それはつまり、グローバル社会により世界共通化が進むにつれ、各国の自国文化に対する重要性の認識が薄れ行く道につながるのではという危惧感を受ける からです。
そこで重要となってくるのが、「正しく文化を継承していく姿勢と取り組み」となります。
皆さんはどうでしょうか?もし海外旅行に行った先の文化が、日本と全く同じ文化であったならば、それは感動を受けるでしょうか?
多くの方の答えは「NO」ではないかと思います。
行く先に文化があるからこそ、面白く、楽しく、感動したり記憶に残るものだと思います。
私が海外に行ったときに、自分に日本の文化の重要性を気付かせてくれたのは、その地に文化を感じることができたからだと思います。
では、この世界共通化の波に対して、私たちはどのように進んで行けばよいのでしょうか?
その答えとして、次のような考えがあります。
それは、室町時代に日本の古典芸能である「能」を大成した世阿弥が、風姿花伝(ふうしかでん)の中で次のような言葉を残しており、この心得に答えが秘 められていると考えます。
『家、家にあらず、次ぐをもて家とす。人、人にあらず、知るをもて人とす』
この言葉を、これまで書いたことに言い換えたならば、「家(その国の文化)は、ただそこに家(土地)が存在することで家(その国の文化)となるのでは い。家(その国の文化)を継承しようとうする努力を以て家(その国の文化)が成るのである。人(日本人)もまた、そこで生まれたから人(日本人)であ るのではない。家(その国の文化)を知る(学び伝える)努力を以て人(日本人)と成れるのである。」となります。
つまり、「文化はただそこに存在するだけでは受け継ぐことはできない。志あるものが必死 で伝えようとする努力が大切である。その努力こそが伝統(国)を支え、才能(人)を育てるのである。」と世阿弥は伝えているのだと思います。
この考えこそが、文化継承に対する思想の原点であり、この思想を基に居合道継承者としての使命を果たさなければならないと感じます。
◆第三章(教室指導者として)
平和時代を迎えた現代に於いて、居合道や日本刀は、その本来の目的(実戦や武器としての目的)を必要とされることは無くなりました。
「では、どうしてこの平和な時代に居合道をしなければならないのか?」という問いかけに対し、私はこのように答えています。
「日本人だから、居合道をやっているのです」と。
日本は、明治維新以降、廃藩置県や廃刀令によりそれまでの武家社会から大きく時代が変化しました。因みに「能」もこの時に一度継承者が失われたと言わ れています。
しかし、そのような時代に変わっても、これまでの士族であったものは剣術道場を開いたり、軍人・警察官へと転身しながら、居合を含む剣術が受け継がれ てきました。
一方、この時代にはすでに日本も近代兵器が採用され、日本刀よりも銃火器や銃剣が使用されることが多くなりました。
その後も日本は本格的に富国強兵時代を迎え、戦いの主流が戦艦や戦闘機へと変わってきました。
では、どうしてこれ程にも実戦方法が変化したにも関わらず、居合や剣術が残ってきたのか?
それは、日本人として「武士道」を重んじてきたからです。
しかし、第二次世界大戦直後、GHQは剣術を含む武道に関わる全てに対して厳しく処分しており、この時のGHQは「日本の武道(その精神)が戦争へと 導いた」との理由から、多くの武道を禁止しました。
では今度は、「どうして現在では、外国人が居合道や剣道が盛んに稽古しているのか?」と言った疑問が湧いてきます。
それは、先に述べた「武士道」が日本独自の道徳観や美学であり、その道徳観や美学が様々な日本の伝統文化を生み出し、その道徳観や美学、伝統文化が世 界に通用するものだからだと言えます。
私がこの平和時代に居合道をするのは、こうした「武士道」(道徳観や美学)こそが、日本国や日本人の源流であるのだと信じるからです。
そう、「武士道」は風化させてはならないのです。
ところが、平和な時代となり「武士道」が薄れ行く中、日々心痛ましい事件や事故を多く見かけます。「自分さえよければ」、「自分には関係ない」といっ た考えを持つようになり、「武士道」が失われようとしているからかも知れません。
時代がどんなに変わっても、刀が必要でない時代になっても、「武士道」だけは失ったり、変わってはならないのです。
だからこそ、私はこの居合道を通して、教室生や国内外を問わず多くの方々と共に、「武士道」を貫き受け継いで行きたいと考えます。
私は、この平和な時代の中で、平和というものを重く受け止め感謝をしながら、私たちが 「日本人であり続けられるよう」、そして「地域交流や国際交流」に貢献できるよう、「武士道精神」に基づき指導に努め、そしてこの「かさい」居合 道教室や教室生とともに「誠の剣客の姿」を追い求めながら、未来の剣士へと「武士道」の大切さを伝えて続けて行きたいと思います。
記 最高指導者 徳平義人
(2019年(平成31年)4月7日 謡曲「高砂」奉納)